雨が降っている。昼は春の風が吹いて、マフラーもコートもいらなかった。日本語には雨の名前がいくつもあるという。わたしははそれらを知らない。

言葉があるから感じ取れることがある、と教えてくれた本はジョージ・オーウェル『1984』だった。読み終わった本のことは、いつもあまり覚えていない。しかし、衝撃を受けたことはよく覚えている。雨の名前のすくない異国では、どんな雨も同じように聞こえる、と聞いたことがある。そのときは、言葉というものの意味を感じた。

しかし、今、言葉と意味の強固な関係性に懐疑の気持ちをもっている。春という言葉がなくとも、今日のおひさまに下では、なにかしらがあることがきっとわかるんじゃないだろうか。それくらいに、気持ちがよかった。

近所の溜池のかえるが昨日から鳴きだした。彼らに言語はないとされる。すこしだけ羨ましくなる。雨を、春を、彼らはわたしよりもずっとよく知っている。

そうおもいながら、今日も本を読む。言葉が意味だけを伝達する手段であったならば、どんなにつまらないことか。射抜き射抜かれる世界といっしょに居られることのうれしさは意味の向こうの遠いところにある。

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