【素描第八回】生きにくかったあの頃の私へ

岐阜新聞の素描欄にて2018年9月~10月の毎週土曜日、全9回で掲載された庭文庫店主百瀬実希の文章を紹介します。

東京で暮らしている頃、とてもモヤモヤしていた。仕事はやりがいがあったし、仲の良い同僚や先輩、上司にも恵まれた。仕事帰りに天井の高い洗練されたお店でピザを食べたり、新しいお洋服を買いに行ったり、今よりもずっと羽振りが良かった。それでも、毎日前に進まない滑車を回し続けているような気持ちになった。今日と同じ明日が来て、明日と同じ今日があるような、何も始まらず、何も終わらないまま、ただ体だけが老いていくようなそんな感覚をぬぐえずにいた。

岐阜へ来てからそのモヤモヤは随分小さくなった。いつも世界は新しいと思えるようになったのは、季節ごとに変わっていく空の色であったり、花々の香りであったり、雨の日も晴れの日も光っている山々があるからであった。

今思えば東京にだって毎日違う何かがあったはずだ。違う人、違うお店、変わる街路樹。それを見ることができなかったのは、東京のせいではなくて多分私のせいだ。しかし私はあのまま東京にいては新しい日々を見ることはできなかっただろう、とも思う。

漠然とした不安と生きにくさを抱えているあの頃に私に「楽しいことはいつだって、どこだってはじめられるよ」と伝えに行きたい。東京だろうが、アマゾンだろうが、沖縄だろうが、岐阜だろうがどこでだって、いつからだって始めることができるから、と小さく励ましに行きたい。東京にいた頃に励まされていたものたち、本だったり、小さなカフェであったり取り組んだ仕事は私の一生の財産になるから、だから大丈夫だよ、と話をしたい。

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【素描第二回】幼き日の羅針盤『精霊の守り人』
【素描第三回】たったひとつの『声』
【素描第四回】岐阜に移住したときのこと
【素描第五回】無職の側には美しい山と稲穂があった
【素描第六回】好きなことを仕事にしたいわけではなかった
【素描第七回】出張古本屋として活動していた頃のこと
【素描第八回】生きにくかったあの頃の私へ
【素描第九回】理想郷なんてどこにもないから

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